しあわせの引き出し
こんにちは、KAn。(@s0ra308)です。
今日もいいことありましたか?
今日も、KAn。ワールドが炸裂する予定です。しばしお付き合いを~。
いつものように、ゆるゆるとした&たいして役に立つものではないんだけれど、ラクに読んでくれたらうれしいです。
今日は、『しあわせ』についてKAn。が考えること。
人それぞれのカタチ
『しあわせ』の大きさは、きっと人それぞれです。同じ出来事に出会っても、それを感じる人によって、しあわせの大きさが変わる気がします。
「あーしあわせだ…」なんて、のんびりとした時間を過ごすもの。心のどこかで「しあわせってこういうことなのかな」なんて、ほのぼのするもの。「うわ…すごい…なんだこれ、しあわせだ…」なんて、驚きながらもその瞬間をかみしめているようなもの。
だから、ほんとうに『しあわせ』の大きさはきっと人それぞれです。
しあわせのお話
ひとが「しあわせ」と感じるものは、けっこうたくさんあります。たとえば、嬉しいこと・楽しいこと・おもしろいこと・笑顔になれるもの。
これから書くのは、ちょっと先の、そんなお話です。
しあわせの引き出し
KAn。は、「しあわせの引き出し」というものがあるのかなぁと感じることがあります。目には見えないけれど、ちゃんとそこにあるもの。それが、「しあわせの引き出し」です。
嬉しかったり楽しかったり、おもしろかったり笑顔になれたり、そういったことが起きると、その引き出しに、たくさんの『しあわせ』がたまるのなかぁ~って。
引き出しには、「これ以上はいらないよ」という数の制限も、「こんな大きいしあわせムリっすよ」なんて大きさの制限もなくてね、だから人は、どれだけのしあわせに出会っても、もう言葉にできないくらいのものに出会っても、そのすべてを、「しあわせの引き出し」に詰め込むことができるのかなぁって思うのです。
……書いているだけで、KAn。はしあわせなのです。
引き出しの、そのあと
ここまでもそうだけれど、ここからはさらにKAn。ワールド全開です。想像のおはなし。
いつかこの世界に長い長いおやすみをするときに、ひとは、その引き出しを持って旅に出るのかなぁなんて。果てしなく続く旅の途中で、ちょっぴり寂しくならないように、『しあわせの引き出し』を持って、歩き出すのかなぁって。
そうして旅を終えて夜空の星になったときに、引き出しからしあわせが、あったかい光りとなって、空を街を照らすようになるのかなぁ。
想像のおはなしでした。
今日はおしまい。
(この記事はnoteから加筆転載しました)