ベストなときの自分や人と比べるから苦しいんじゃない?と気付いた
毎日、ダラダラしているわけではないんだけれど、ときどき、ものすごーーく苦しくなってしまうことがあります。
こんばんは。KAn。(@s0ra308)です。
今日もいいことありましたか?
苦しくなるのはどうして?
苦しくなるのは、どうしてなんだろう。ひとそれぞれ理由は違うと思うんだけれど、ここではKAn。が感じたことにスポットを当ててお話しします。
比べるのが「1番の自分」だから
いつだって、最高の自分を想像してしまうから、きっと苦しい。
そう思うのです。そう思うのは、わたしがそうだからです。
過去に起きた良いことや、ちょっと結果が出た時なんかを想像して、「1番の自分」にとことんこだわってしまいます。たとえば、『何かの大会で優勝した』だとか、『何時間も使って仕上げたおしごとを誉められた』だとか。
だから、「前できたんだし、今でもヨユー」「きっと今回もいけるデショ」というふうに調子に乗って、やるべきことをやらなかったり、変なプライドを持ったりして。
でも、結局その「1番の自分」になれないことも多いから、苦しくなってしまうのです。
比べるのが「だれかのベスト」だから
それから、「頑張ってないなぁ…」と思っているとき。
他人から見れば「あの人いつも頑張ってるよね」と思われているような人なのに、その本人が「まだまだやれることあるし。ほら、〇〇さんの方が仕事量多いじゃん…」なんて、自分の頑張りに気付いていないことがあります。
ただ、これも、比べてしまっているから苦しいんじゃないかなぁと。
対象が「自分」であっても、「だれか」であっても、きっと苦しい。
「いいなぁ」「わたしもこうなりたい!」「自分なんて、まだまだだ…」はたいてい、自分の目標である人や、過去の自分についてが多い気がする。
これが、苦しくなってしまう理由2つめかなぁ。
「いつかの自分」にならなくてもいいと思う
鏡を見ても、「おっ。昨日より成長してるー!」なんて分からないけれど、きっと、足元を見てみれば、目には見えないけれど道はできているはずです。がんばっているからね。
だから、
「いつかの自分」にならなくてもいいんじゃないかな。
「だれかやなにか」にならなくてもいいんじゃないかな。
がんばっていたり、一歩ずつでも成長しているのは、きっと誰かとなんて比べなくても、カッコいいのです。
ちょっと短くなってしまったけれど、
今日はおしまい。