「あたりまえ」をなくしたら、ずいぶんと楽になりました
こんばんは。KAn。(@s0ra308)です。
今日もいいことありましたか?
ふと、「あたりまえ」が増えてしまった…と、すこしだけ悲しく感じることがあります。
今こうして、パソコンで言葉を生み出していることも、ブログを書いていることも、いつかは「あたりまえ」になってしまうんだろうかと思うと、やっぱりなんだか少し悲しいです。
やっと手に入れられたことが、いつのまにか何の感動も感情も持たないものになってしまう。これって、避けられないことなのかなぁ。
あ、どうでもいいんだけれど、愛用しているパソコンはdynabookです。今年で3年目を迎えました。
「え!?音楽もアートも写真もやっているのに、Macじゃないの?」と聞かれることがあるんですが、今のところその予定はありません。
そんなものを使ってしまったら、指紋1つ付けないように、ビクビクしながらお仕事しそうな気がするのです。それくらいには、ビビりでチキンなのです。
話がそれてしまったので、そろそろ「あたりまえ」に話を戻したいと思います。
あたりまえが「あたりまえ」だと思っていた
なんだか、ゲシュタルト崩壊しそうな見出しになってしまいました。ごめんなさい。
今年、義務教育を終えてから5年ほどが経ちます。だけれど、頭のどこかで「だまっていてもなんとかなる」という【あたりまえ】の考え方が、まだまだ抜けません。
変わらない「あたりまえ」
考えてみると、変わらない「あたりまえ」はたくさんありました。
たとえば、地球が回っていること。それから、みんないつかは星になるということ。
…と、これはちょっと規模が大きかったけれど。
もうすこし身近なものだと、うーん…そうだなぁ。
「朝ごはんは毎日パン派です!」や「いつも0時に寝ます~」なんかが、【あたりまえ】にあたるのかな。
あたりまえが無くなったら
そんな「変わらないあたりまえ」が、もしも、あるとき急になくなってしまったら。
「あたりまえ」があふれる世界では、それがなくなることなんて、だれも想像なんかしないだろうと思います。もちろん、わたしだって想像していません。
でも、それが怖いような気がするのです。
「こういうもんだ」と思ってしまっているから、疑い方も知らなくて。いつもまにか自分で作ってしまった壁を、壊すことなんて考えないよなぁって。
それが、怖いような気がするのです。
あたりまえを無くしてみた
そんなことをあれこれ考えていると、自分の見ている世界はすごくすごく狭いんだ…と感じるようになりました。
いま見ているものだけが、全部正しいというわけではないなぁと。
いま聞こえているものだけが、音のすべてではないなぁと。
そんなわけで、自分のあたりまえの生活を、ちょっとだけ考えてみました。
生活リズムをバラバラにしてみた
朝起きる→お仕事する→寝る
かなり簡単に言うと、こんな生活をしていました。
もちろん、お仕事はすごく好きです。すごく楽しい。
だけれども、「はぁ~よく寝た。今日もお仕事するかな」というのが、1つの動作になりつつあったのです。
ライターになってすぐのころ感じていた、「明日は〇〇の記事が書ける!やった~!今日はもう早く寝よ!!」なんてことが、すこしずつ薄れてきてしまって。
その結果、冒頭で少し書いた
ふと、「あたりまえ」が増えてしまった…と、すこしだけ感じることがあります。
今こうして、パソコンで言葉を生み出していることも、ブログを書いていることも、いつかは「あたりまえ」になってしまうんだろうかと思うと、やっぱりなんだか少し悲しいです。
やっと手に入れられたことが、いつのまにか何の感動も感情も持たないものになってしまう。これって、避けられないことなのかなぁ。
ということを感じるようになるまで、自分自身の気持ちの変化に気が付くことができませんでした。
起きたいときに起きる。お仕事したいときにする。眠たくなったら寝る。
ブログも、書きたいときに書く。
ブログ名を「HOME 」にしたのは、記事だけでなくこのブログ自体が居心地のいいものになってほしいからなんだけれども、わたし自身の目線で作っているから、わたしのHOMEになっている。
— KAn。 (@s0ra308) 2017年7月6日
記事を書いたあと、なんだか心地いいような余韻に包まれて、ちょっとの間、幸せな時間を過ごしている。 pic.twitter.com/SRuWqThoR7
そうやって、たまには気持ちに素直に生きてみることが、大切なんじゃないかなぁと思うのです。
こんなことを言うと、「それは、ゆるゆるの生活をしているから言えるんだよ」なんて返されそうですが、
たとえば、「夜中にお仕事をしてみる」こと。
たとえば、「朝はパンじゃなくてご飯にしてみる」こと。
そうしたら、
もしかしたら、「自分は夜型の生活の方が得意だ!」と知ることができるかもしれないし、もしかしたら、「ご飯の方がおなかが減らなくて、お昼まで集中できる」と分かるかもしれない。
もしも失敗したとしても、いろんな経験をしていたほうが、この先良いんじゃないかなぁと思うのです。
「これはピンチ…!…ん?あ、前にもやってみたことあるよね」というふうに。
ずいぶんとラクになりました
「こうじゃなくてもいいのかも」という気持ちは、ココロに余裕を作ってくれました。
すぐに「チキン田マジメくん」(チキンでマジメなわたしの性格)が出てきて疲れてしまう毎日でも、なんだかすこしだけ、ほっと一息つける時間が増えたような気がします。
「あたりまえ」をなくして変わったのは、量だけで見れば、ほんのちょっとだけです。
それでも、ずいぶんと思い込みのようなものが減りました。
見えている世界が、広がったのかもしれません。
「知らないことがあるのは恥ずかしい」と思っていた時期があって、それを自分の中だけでコンスタントに消化していたんだけれど、ある時、うわぁぁ恥ずかしいや…と思いながら【知らないことを明かした】ら、解決するうちに、もっと先のものまで手に入れることができたんだよね。世界を広げるって大事。
— KAn。 (@s0ra308) 2017年7月6日
「ブログを書くのは【あたりまえ】のことだから」
なんていう日が来ないように、気持ちに素直に生きていこうと思います。